支援したタイ人観光客のその後
北海道胆振東部地震で、観光中運悪く避難していたタイ人の観光客に対する支援を前述の記事に載せましたが、その続報です。
タイに帰国したベミガー・パッタナポーワナさんから支援の中心になった事務局長宛にSNSで前述の支援に対するお礼と地震後の北海道の状況を訊ねてきました。
震源域は別として停電した地域も復電したこと、北海道の代表的な観光地には何の問題もないことを伝えると、中断した北海道観光を再度行い、事務長に対し直接会ってお礼がしたいと申し出があり、9月24日当事者であるベミガー・パッタナポーワナさんと母親再会しました。
当日、通訳の手配・彼女達のお世話と停電のさなか2度にわたる新千歳空港へ彼女達の送迎をした事務局長、行く当てのないベミガーさん姉妹を水道閉栓中の別棟を役場とかけあい通水した上で無料で2泊させた当会会員の李林甫さん、タイ語通訳の手配を快く引き受け、また英語と日本語の通訳をかって出たベトナム人のヒエンさん等と懇親会を行いました。
懇親会には来れなかったものの地震で避難しタイ語しか出来ない彼女達に代わり、札幌のホテルと宿泊キャンセルの交渉をした副代表の三國さん、初めての地震で不安な中タイ語の通訳をかって出たタイ人留学生も再会したことを喜んでいました。
このことは新聞報道もなされ感動秘話のように書かれていますが、現実は難題の連続でした。
・これは仕方がないことですが、宿泊先→避難所と行く先が変わり、言葉がほとんど通じないため、初めての巨大地震に遭遇しタイ人観光客は、冷静な状況判断が出来なくなっていたこと。
これは後で分かったことですが、彼女たちは次々と行く先が変わり、言葉の不自由から人身売買されるのではないかという疑心暗鬼に駆られていた。
・行政はデフレ不況下の予算減とそれに伴う人員不足で緊急事態時、他の部署、他の機関と連携を取りづらかったこと。
・言葉の問題。非常に希なケースのためだけに行政が通訳を常駐させることは限られた予算の中では不可能に近いことです。それには多数の国からの留学生をかかえている学との連携が必要ですが、今のところ学は連携に乗り気ではありません。
・今回係わった上記の方達はすべて手弁当だったこと。これを言い換えると全て善意に頼ってしまったことです。しかし、行動した方も地震に伴う非常事態は同じですので、いつでも今回と同じように行動できるとは限りません。
今後の対策としては、お互いが不足しているリソースを誰とどの様な形で連携を取り事態を改善するか。これは重要なテーマになると考えます